吉田千秋 命日の集い「睡蓮忌」

 私たち滋賀県人の心の拠りどころとなっている「琵琶湖周航の歌」の作曲者である吉田千秋は、大正8年2月24日、若くして、24歳の短い生涯を終えました。

 毎年恒例となている、千秋の命日に当る2月24日に近い日曜日に、生家において「睡蓮忌」が催され、「ちあき」の会会員の方を始め各層に亘る年代、各界の方々が参加され、講演会 ・合唱団による合唱・器楽演奏などが行われています。

 今年は2月26日(日)、同市の新津地域交流センターにおいて開催されました。
 
 新潟滋賀県人会からは、今年2月、本会に入会され、また、平成11年冬の取材訪問以来、2度目となる白石さんと私、市井の2人が参加しました。
 
 フリーアナンサー東村 里恵子さんのエレガントな司会進行により
 ・「ちあき」の会新藤幸生会長の「多くの住民に千秋を知ってほしい」と会場を生家から移したことなど開会の挨拶。.

 ・新潟薬科大学合唱部10名の皆さんによる、「琵琶湖周航の歌」の原曲となった吉田千秋訳詩・作曲の「ヒツジグサ」を始め讃美歌など美しいハーモニーで5曲を披露されました。

 ・吉田ゆきさん、新藤会長を交えたトークショーでは、千秋の人柄、多才さ、魅力などの紹介。
  吉田家親族では、千秋以外の人は、音楽に関しては興味がなく、昭和46年(1971年)、歌手加藤登紀子さんが「 琵琶湖周航の歌」を歌い大ヒットし、さらに、、昭和50年(1975年)頃「琵琶湖周航の歌」の原曲は「ひつじぐさ」という曲であると判明。その5年程後には、その作曲者が吉田千秋という人物であることが突き止められたが、 千秋の実弟冬蔵さん(ゆきさんの父)は、テレビに曲のタイトルとともに映し出される作曲者の名前に「偶然だなあ(同性同名に)」と、いつも亡き兄を思い出しておられたこと。
 メロディーがヒツジグサに似ていることに誰も気がつかなかったことなど裏話も交えたトークでほのぼのとしたひと時でした。
  ※ ヒツジグサ(未草)は、スイレン科スイレン属の水生多年草。
                                                   2012/2/28
                                                   事務局 市井 康三
  読売新聞 2012/2/27 朝刊 pdf
  新潟日報 2012/2/28 朝刊 pdf
  琵琶湖周航の歌の誕生(新潟滋賀県人会)
  水と土の芸術祭 吉田千秋 越後語り座 小合(こあい)合唱の会 YouTube
合唱_1 合唱_2 ヒツジグサの歌詞(スクリーン)を見て全員で合唱
会場風景 トークショー_
本年2月 新潟滋賀県人会に入会された白石 洋一さんの寄稿 2題
 白石さんは平成11年(1999年)春に読売新聞社に入社され、最初の配属先が滋賀県大津支局(大津市におの浜)でした。
 「琵琶湖周航の歌」に関心をもたれ、同年冬、新津市大鹿の生家や小合(こあい)中学校を訪れ取材をされました。

@ 〜心をつなぐ「周航の歌」時代を超え数奇な  〜千秋の足跡たどる動き〜
     (翌年、平成12年(2000年)新春1月3日 (読売新聞滋賀県版・セ滋賀・読売大阪に掲載。)    
 「琵琶湖周航の歌」の原曲とされる「ひつじぐさ」。1917年に歌が生まれた二年前、雑誌に発表されていたが、その作曲者は長く謎(なぞ)に包まれていた。1980年ごろ、旧制三高OBらの調査で、吉田千秋(1895〜1919)と特定されたが、その人物が何者かは知られていなかった。
 
 歌の誕生75周年を記念して今津町は1993年、全国から合唱グループなどを募り、歌を披露してもらうイベントを計画。それに合わせ、同町職員、落合良平さん(45)が千秋の消息探しを始めた。

 「東京から新潟に転居したらしい」との情報をもとに、新潟県の地元紙に協力を求めた。「消息教えて」という記事が、同県安田町の歴史地理研究家、旗野博さん(53)の目に止まったのが同年六月。「東伍先生の二男かもしれない」。
 旗野さんは地元の仲間らと『大日本地名辞書』などを著した歴史地理学者・吉田東伍の研究をしている。その系図の二男にあった「千秋」の名前。その後の調べで、旧制東京府立四中(現・都立戸山高)、東京農大に進学したが、肺結核を病み、19歳で退学。同県新津市の生家に戻ったが、24歳の若さで死去していたことがわかった。
 
 生家に住んでいた実弟の冬蔵さん(九七年九月、九十一歳で死去)も、それまでテレビに曲のタイトルとともに映し出される作曲者の名前に「偶然だなあ」と、いつも亡き兄を思い出していたという。今津町で確認を取った旗野さんが、資料を持って訪れると、「千秋お兄(にい)と違うところはない」と納得した。
 1999年、新たな〈証拠〉も見つかった。千秋が編集した雑誌「AKEBONO」。「かつて私が作った『ひつじぐさ』は…」との記述があった。今津町から約400キロ。千秋の郷里と周航の歌が確実に結び付いた。
        
 これを機に、千秋の古里でも足跡をたどる動きが始まった。生家に近い新津市立小合中では、1999年10月の文化祭で3年生が「『琵琶湖周航の歌』と作曲者・吉田千秋について、あなたは知っていましたか?」と題して発表した。
 生徒らの取材で、千秋の人生に触れるにつれ、その魅力に引き込まれていった。英、仏、独など六か国語を独学でマスター。ローマ字の研究や天文学、音楽など幅広い知識や、多彩な才能、自然への愛情にあふれた人生だった。
 「短い人生であれだけのことにトライしたなんて」「自分もあんな生き方をしたい」と語り合う生徒たち。見たことのない琵琶湖にも「海みたいなイメージ」「カヌーに乗ってみたい」と夢を膨らませる。
        
 千秋がヒツジグサを栽培していたという生家。築後120年、黒塀の重厚なたたずまいを見せる。今もそこに暮らす冬蔵さんの娘、千秋のめいにあたる新潟大助手、吉田ゆきさん(56)が縁側に腰掛け、遺品のアコーディオンをひざに抱く。「学問はできたが病気で成就せず、少し哀愁ある人生だった」とおじを想(おも)う。
 ゆきさんは1998年4月、今津町の「琵琶湖周航の歌資料館」の設立式典に招待された。「自然や音楽を愛し続けた千秋の思いが、不思議な縁でつながった琵琶湖に受け継がれたようでした」と、当時の感慨を振り返る。
 自作の欧州や新潟県の地図、植物図鑑、絵かるたなど千秋の造詣の深さを示す約300の遺品が残る生家。
 「多くの人が閲覧できるよう保存していきたい」。ゆきさんは、千秋の〈生きた証(あかし)〉を受け継ぐ。

A 〜われは湖(うみ)の子 さすらいの〜 [交差点]縁=新潟 
  2011/11/27掲載  (私がこのたび、新潟に赴任して、かいた記事 (新潟北 読売東京に掲載)    
 こんな歌詞で始まる「琵琶湖周航の歌」を皆さんはご存じだろうか。歌手の加藤登紀子さんのヒットでも知られる曲だ。作詞は、旧制三高(現・京都大)の水上(ボート)部員だ。
 
 一方、原曲をつくったのは、本県ゆかりの吉田千秋(1895〜1919)。千秋は「大日本地名辞書」などを著した歴史地理学者、吉田東伍の次男だ。
 
 私は、琵琶湖のほとりにある大津支局で新聞記者生活をスタートさせた1999年の冬、「周航の歌」の特集を組むため、本県に出張し、千秋ゆかりの方々に取材をさせてもらった経験がある。
 
 当時の記事をまとめたスクラップブックをめくると、地元中学生たちが千秋について調査していたことなど、記憶が次第によみがえってくる。あれから12年が過ぎ、私は、今月から新潟支局に赴任した。
 
 実は私の古里は島根県で、同じ日本海側に面している。本県には、出雲崎町など、島根・出雲と似た地名もあり、「縁」を感じずにはいられない。
 
 前任の7年間は、東京・永田町や霞が関で政治記者として、中央から地方自治をウオッチしてきた。
 今度は、新潟の地から地方自治のあり方もじっくりと考えてみたいと思っている。
 取り上げたいテーマも本県には多い。新潟州構想、北陸新幹線、新潟港、原子力発電所、農業、日中国交正常化40周年――。来年秋には知事選を控え、2013年夏までには衆参の国政選挙もある。
 私も1人の県民として様々な問題を読者の皆さんに分かりやすく届けたい。(白石洋一)