秋の夜長をシャンソンで・・・      

  カンツォーネと同様に、「歌」そのものの意味をもつシャンソンは、フランス発祥の音楽で「小謡」的な位置づけにある音楽です。
 120年以上の歴史をもっているが、もともとは民謡/俗謡に起源があると言われています。
 悲恋や人生の悲喜こもごもを情感たっぷりに歌い上げるシャンソンは、紫煙の立ち込めるようなパリのキャバレーやミュージック・ホールで20世紀初頭から人気を誇るようになりました。
 日本でも70年以上も前から愛されていたジャンルであり、また、服部良一のような音楽家が早くから深い理解を示していたことは特筆に値すると思います。
 淡谷のり子のようなシンガーがまがうことなき先駆者であり、後に高英男、美輪明宏、越路吹雪、戸川昌子、岸洋子、中原美沙緒といった人々がシャンソン特有のけだるいムードと妖艶さを伝承していきまいた。 <Site http://www38.tok2.com/home/hmika/japan_chamson.htm より転載>
   主に半世紀前から以降に出合った仏、日のシャンソンを採りあげました。
                                                    2015.10.8
                                                    新潟滋賀県人会
                                                       市井 康三
 男性シャンソン歌手
 1 高 英男  (武蔵野音楽学校~日本大学へ転学)
 樺太出身の日本の歌手、俳優。日本にお けるシャンソン音楽普及の第一人者であり、フランス 国内でも活躍。独自のムードを醸し出す歌手・俳優と して知られた。 経済学者で日本大学第4代総長の呉文 炳は従兄弟にあたる。
雪の降る町を (1953)
 ロマンス Romance (1952) 
1976.12.26 ビッグショー 高英男 「わが夢は雪の彼方に 」  (47分秒01)
20:20頃から「枯葉」、42:20頃にフィナーレ「雪の降る町を」が収録されています
 
 2 芦野 宏 (東京芸術大学声楽科卒業)
 1953年NHKラジオ「虹のしらべ」でデビュー以来、日本を代表するシャンソン歌手として活躍している。NHK TV「紅白歌合戦」10回連続出場。
 現在は日本シャンソン館の館長としても活躍しています。
 幸福を売る男
ラ・メール La mer  (1983)
3 丸山明宏
 美輪 明宏は、日本のシンガーソングライター、俳優、演出家、タレント。長崎県長崎市出身。本名:丸山 明宏、幼名 臣吾。海星中学を経て国立音楽大学附属高校中退。
 昭和37年頃「銀巴里」に通いました。丸山明宏、岸洋子お二人はデビュー前でしたが、注目をされていました。
 ふるさとの空の下で        (6:51)
 銀巴里ライブ 美輪明宏     (13:00)
 紅白2012「ヨイトマケの唄」   (6:06)     
 1 Yves Montand (イヴ・モンタン)
 イタリア出身でフランスで活躍した俳優・シャンソン歌手。本名:イーヴォ・リーヴィ  『恐怖の報酬』 は、1953年制作のフランス映画。第6回カンヌ国際映画祭にてグランプリと男優賞を、第3回ベルリン国日本の歌手と比べて下さい際映画祭で金熊賞を受賞した。
Les Feuilles Mortes
 Paris Canaille
 A Paris
 Sous le ciel de Paris
<2 Gilbert Becaudジルベール・ベコー)
 フランスの歌手・作曲家・ピアニスト・俳優。パリのオランピア劇場で33回も公演し、その精力的なパフォーマンスから「ムッシュ10万ボルト」と言われた。
 Nathalie (ナタリー)
Et maintenant そして今は
ベコーによって書かれたシャンソンで、スタンダード・ナンバーです。
Sous le ciel de Paris
 3 Charles Aznavour (シャルル・アズナブール)
 フランス・パリ出身のシンガーソングライター・俳優である。アズナブールは、フランスの国民的シャンソン歌手と言われています。2013年現在88歳ですが、現役で活躍しています。
La Boheme (ラ・ボエーム)
この作品は、アズナブールの作曲によるものです。 ラ・ボエームは、ボヘミアンとか貧乏芸術家を意味しています。
Les deux guitares (2本のギター)
この公演は、パリのオペラ座で行われたコンサートです。
La mer  
2013年に開かれたオランピア劇場での公演です
<女性シャンソン歌手
1 金子由香利
 シャンソン歌手。女優としての活動を経て、1960年代より“シャンソンの殿堂”といわれた“銀巴里”のステージに立ち、シャンソン・ファンの間で高い評価を受ける。長い間一般的な知名度は低かったが、77年発表のアルバム『銀巴里ライブ・いつ帰ってくるの』をきっかけに、存在がクローズ・アップされる。谷村新司、山口百恵らがファンとなり、その評判も手伝って一般へ浸透。87年“NHK紅白”に出場。代表曲は「再会」「時は過ぎてゆく」など。
時は過ぎてゆく IL EST TROP TARD
桜んぼの実る頃
再会
聞かせてよ愛の言葉を
 
2 中原美紗緒
 東京芸術大卒。昭和期のシャンソン歌手、女優。本名は室 美紗緒。叔父に画家の中原淳一、義理の叔母に女優で元タカラジェンヌの葦原邦子がいる。
 パリのお孃さん OMOISELLE DE PARIS
昭和30年ころ録音のデビュー曲
 河は呼んでいる
「フルフル」.wmv
 
 3 岸洋子  山形県酒田市出身。オペラ歌手を目指していたが心臓神経症のため、断念。病床で聴いたエディット・ピアフのアルバムに感動しシャンソンに転向。同じく日本のシャンソン歌手だった越路吹雪が“魅せる歌手”と呼ばれることに対して、岸は“聴かせる歌手”と呼ばれていた。
バラ色の人生 (フルオーケストラで歌う)
ケ・サラ  Che Sara
 さよならも云えず、希望
  『夜明けのうた』『恋心』『希望』などヒット曲を連発する中、1970年9月下旬に膠原病を発症[2]。その後も膠原病の後遺症と闘いながら歌手活動を続けていたが、1992年12月11日57歳で死亡した。
 
 1 Dalida (ダリダ)
 ダリダはフランスで戦後最も売れた歌手の一人であり、国内でダイアモンドディスクを初めて取得し、 フランスで最初にディスコミュージックを流行らせた歌手です。また、歌って踊るショー形式の大規模なコンサートを行った国内初めての 女性歌手でもあります。彼女ほどの大スターが、54歳の時に、失恋が原因で自殺したことを知ったときは、ショックでした。
Pour en arriver là (めぐり会うために)
A Ma Maniiere (私の態度に)
J'attendrai (待ちましょう)

 2 Barbara (バルバラ)
 2000年に訪れたカルカッソンヌ城のレストランで、物悲しい雰囲気が心にしみるシャンソンが流れていました。それがきっかけで、バルバラのファンになりました。彼女は、エイズ撲滅運動に寄与した功績で、1987年にレジョンドヌール勲章を授与されています。 
L'aigle noir (黒い鷲)
Vienne (ウイーン)
 
 3 Nana Mouskoui (ナナ・ムスクーリ)
 フランスの歌姫として絶大な人気を博した頃です。これまでのディスク売り上げ数は1億5千万枚に及ぶそうです。現在(2013年5月)66歳ですが、現役で活躍を続けています。
Plaisir d’Amour (愛の歓び)
Comme un Soleil (太陽のように)
 4 Mireille Mathieu (ミレイユ・マチュー)  私がマチューのシャンソンを聞いたのは、1970年代でした。フランスの歌姫として絶大な人気を博した頃です。これまでのディスク売り上げ数は1億5千万枚に及ぶそうです。現在(2013年5月)66歳ですが、現役で活躍を続けています。
La Derniere (水に流して)
La Derniere Valse(ラスト・ワルツ)

 5 Sylvie Vartan (シルビー・ヴァルタン)
 シルビーがまだ若かった1960年代に、”恋は水色”を歌っていたことが印象に残っていますが、その後は忘れていました。でも、10年ほど前にパリのカジノ・ド・パリで、張りのある歌声を聴いて以来、私は彼女のシャンソンが好きになりました。
 La Plus Belle Pour Aller Danser (アイドルを探せ)
 6 Juliette Greco (ジュリエット・グレコ)
 2013年現在86歳ですが、現役で公演を続けています。尚、彼女はサンジェルマン・デプレ歴史的建造物保存協会代表も勤めているようです。日本でも旅他公演してしていますが、東日本大震災直後にはすぐに来日し、チャリティコンサートを開いています。
パリの空の下ほか 
9分54秒 (SOUS LE CIEL DE PARIS パリの空の下*PARLEZ-MOI D'AMOUR 聞かせてよ愛の言葉を*PARIS CANAILLE パリ・カナイユ)
 歌手の紹介文等は、「「日本のシャンソン歌手たち」・「フランスの情報  Information on France」・「ウィキペディア」から引用 
 

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