5-5 日本の教育再生をねがって 「漂流する日本」 今日の危機を国家の根本を立て直す好機に

                                              新潟滋賀県人会
                                              会長 中村 五郎(81歳)
                                              平成22年(2010年)8月26日

国家的危機の到来と戦後日本の回顧
  あの敗戦の日から満65年が経ち、今年の夏も又、決して忘れ得ない8月15日がやってきた。
 
 あの日の午前、私たち黄海道海州(へじゅ)で待機中だった振武特攻隊は各自が操縦する飛行機に爆弾を装着し、特攻出撃までの余命が2〜3日と云う正に、死の直前であった。
  
 南鮮の特攻前線基地の木浦(もっぽ)への移動を命ぜられ、あの日の午前、離陸する直前に体当り攻撃の成功を祈って盃を交わす、出陣式を行っていたが、正午からのラジオの重大放送を聞くため、突如、離陸は中止となり、 危うくいのち拾いして、今日まで生きながらえたのである。
 
 現在では私自身でも信じられぬ程の嘘のような話だが、100%偽りのない事実である。
 危うく生き残って朝鮮半島から滋賀県神崎郡南五個荘村の実家に復員したのは10月の中旬だった。
 
 敗戦直後の私達は耐乏生活が長くあのひもじい思いをした頃を思い出さずにはいられない。
 焼野原からの戦災復興、食糧難、ヤミ市、悪性インフレ、衣食住あらゆる生活必需品が不足し、飢餓に苦しみ、 先行きに希望と明るさが見出せない毎日だった。
 復員軍人と外地からの引揚者が町や村に溢れていた風景が今も瞼に焼きついている異様な光景だった。
 
 しかし、アメリカの対日援助によって除々に落ち着きを取り戻し、昭和26年(1951年)9月9日、サンフランシスコ講和条約が調印され、続いて日米安全保障条約が締結されたのであった。
 
 戦後の高度経済成長期(1955年〜1973年)の19年間は年率10%以上の成長が続き、日本は世界中の驚異の的となり、本格的な大量生産、大衆消費時代の幕明けとなった。
 
 高度成長が始まって5年後の昭和35年(1960年)に池田内閣が「国民所得倍増計画」を発表し、昭和48年(1973年)10月の第4次中東戦争をきっかけに起きた第1次石油ショック迄の約19年間で敗戦国日本が世界第2位の経済大国へと、のし上がったのである。

1964年東京駅を出発する東海道新幹線
   毎日新聞 写真提供
 その後、米国のベトナム戦争での敗退などによるアメリカ市場の後退と縮少などで、しばらくは世界同時不況を招き、不況とインフレが同時進行するスタグフレーションが続き、日本は構造調整による不況脱出対策が不可欠となり、高度成長は終焉を迎えたのであった。
 
 そして、その5年後、昭和53年(1978年)に第二次石油ショックが再び勃発し、先進国、途上国を含む世界経済が動揺した。

 このような経済環境の激変の中でも、日本の国民生活はアメリカへの輸出依存型経済に支えられ、消費は美徳≠ニ云ううたい文句に浮かれたテレビ、洗濯機、乗用車などを中心の大量消費型経済となり、何一つ不自由のない豊かな時代が続いたのである。
 
 生活様式の近代化による消費拡大や設備投資、公共投資、輸出の好調が牽引力となって80年半ばまでは好調だった。
このような経済環境の激変の中でも、日本の国民生活はアメリカへの輸出依存型経済に支えられ、消費は美徳≠ニ云ううたい文句に浮かれたテレビ、洗濯機、乗用車などを中心の大量消費型経済となり、何一つ不自由のない豊かな時代が続いたのである。
 
 生活様式の近代化による消費拡大や設備投資、公共投資、輸出の好調が牽引力となって80年半ばまでは好調だった。
 
 しかし、1985年9月、ドル高是正のためニューヨークで開かれた先進5ヶ国の蔵相と中央銀行総裁会議によるプラザ合意≠ナ、円相場が1ドル240円前後から1年後の1986年9月には150円位まで急騰し、日本の輸出産業は大打撃を蒙った。
   1985年〜1988年までの為替レート。プラザ合意後、急激に円高が進行している
 
  しかし、1985年9月、ドル高是正のためニューヨークで開かれた先進5ヶ国の蔵相と中央銀行総裁会議によるプラザ合意≠ナ、円相場が1ドル240円前後から1年後の1986年9月には150円位まで急騰し、日本の輸出産業は大打撃を蒙った。  
  だが、輸入のメリットで円高不況は1年余りで終わり、翌年には再び好況を迎えたのである。
 そして、昭和61年(1986年)12月から遂にバブル経済へと突入したのだった。
 
 日銀の極端な金融緩和政策のため行き場を失った資金が、土地や株を買い漁り、それらの資産の異常な値上りが主因となり、個人消費の拡大好調が続いたのである。
 
 その結果、平成元年(1989年)の年末時点で国民総資産が実に6,853兆円に膨張した。
 大納会の日経平均株価が38,915円と云う史上最高値となり、地価は天井知らずの高騰を呼んで投資に走る人々が殺到したのも忘れられない。
 
 空前のバブル景気で日本人の大多数は有頂天となり、世界からは21世紀は日本の世紀∞ジャパン アズ ナンバーワン≠ネどと持ち上げられ、私達のアタマが少々おかしくなっていた、という後悔と反省は、後の祭り≠セった。
 
 こうして、その翌年、平成2年(1990年)1月初めから、当時は誰もが予想しなかった悪魔の弔鐘とも云うべきバブル崩壊の悲劇が始まったのである。 



1989年、三菱地所が約2000億円で購入した
ロックフェラー・センター(ニューヨーク)。当時
の日本企業による国外不動産買い漁りの象となった
 空前のバブル景気で日本人の大多数は有頂天となり、世界からは21世紀は日本の世紀∞ジャパン アズ ナンバーワン≠ネどと持ち上げられ、私達のアタマが少々おかしくなっていた、という後悔と反省は、後の祭り≠セった。
 
 こうして、その翌年、平成2年(1990年)1月初めから、当時は誰もが予想しなかった悪魔の弔鐘とも云うべきバブル崩壊の悲劇が始まったのである。
 
 時期を合わせたように米ソ首脳のマルタ会談に於て、戦後続けられた東西冷戦構造の終結が合意され、平成3年(1991年)12月、69年間続いたソビエト連邦が崩壊、消滅した。結果として米国の一極支配が進む中、米国主導のグローバリゼーションが急速に進展し、ボーダーレス経済の時代となり、世界的大競争時代を迎えたのである。

 90年代から今日に至る20年間の、長く暗い、先の見通しのないわが国の政治、経済、社会が辿った軌跡はどのようなものだったか思い起こすことは決してムダなことではあるまい。
 
銀行の不良債権処理、地価続落、株価低迷が続き、平成15年(
1003年4月28日、日経平均株価は実に7,607円88銭とバブル後の最安値となり、現在も9,000円割れが懸念される弱含みの状態、長期のデフレ不況、企業倒産、財政破綻危機、雇用不安、失業、医療、福祉、年金の先行き不安、就職難、需給の不均衡、教育改革、格差社会、少子高齢化と難題が山積している。
 
 そこに貿易、金融、経済、外交、安全保障などが加わり正に、内外共に八方塞がり≠フ中、政治の不信と混迷が続いているのが、この失われた20年≠ナあり、今なお脱出の道が見えない状況が続いている。 

 飽食≠ニ自由≠ニ平和≠ノ酔い痴れて
   国家存立の根本を忘れた日本人

 漂流を続ける日本=@米国への追従、依存にどっぷりと浸る日本人
 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・・・」(日本国憲法前文)を信じ続けるバカな日本人

 一体、世界中の何処に、こんな国があると云うのだろう。
 
 次に紹介する発言を皆さんは一体、誰の発言とお思いだろうか。
 「何気なく私たちは日本の領土は日本人の所有物だと考えているし、その暗黙の了解のもとに各種政策が遂行されているように思われてならない。思い上がりも甚だしいというべきであろう。」
 
 「私は国家というものがなんだかよく分からない。」
 多くの人は、既にご承知だが、驚くべきは、これは鳩山由紀夫首相(当時)の発言の一部なのである。
 
 この鳩山首相が八ヶ月半で政権を投げ出し、菅 直人氏が後継首相となって参院選が行われた。鳩山氏の辞任は「政治とカネ」の問題や米軍の沖縄基地の移設をめぐる混乱の責任を取ったカタチで、小沢一郎民主党幹事長が抱える政治資金に関する疑惑から国民の目を逸らせるために二人揃って表舞台から去ることで民主党の支持回復を狙ったものだった。
 
 続く参院選(7月11日)で国民は菅首相と民主党に不信と疑念を募らせて民主党の惨敗という結果を呈上した。
 
 今年の終戦記念日、8月15日、民主党菅内閣の閣僚は一人として靖国神社に参拝する人はなかった。
 「国家のために生命を捧げた英霊に、国の責任者が感謝と慰霊の参拝をしないとなれば、誰が国を守ろうとしますか」と元自衛隊幹部の一人がこう語っている。
 
 その意味で参拝も日本を守る「抑止力」であると云えるし極めて残念なことである。
 国家発展の礎となり、国のために生命を捧げた英霊たちはどんなに悲嘆の涙にくれていることだろう。
 
 「反戦平和」などと口先でいくら理想の美辞麗句を並べ立て、平和を唱えようが現実の世界は軍事力や経済力がモノを云うパワーポリテックス(武力を後盾にした外交)によって国際平和が保たれていることは現実の世界であり誰も否定できない。
 
 「地球市民政治の推進」と云うのが民主党の基本理念のようであるが政権党となった後、民主党は早速「外国人参政権付与法案」「夫婦別姓法案」「人権侵害救済機関設置法案」などと、国家解体、家族崩壊や新たな人権侵害を生み出す虞れの高い問題法案≠フ成立を推進してきている。
 
 ところが民主党はこれらが国の在り方の根幹に関わる政策であるにかかわらず政権公約(マニフェスト)に掲げず、国民の目から隠蔽する形で選挙に臨んだというのも政権与党としてフェアな態度とは云えない。
 
 私がこの五回に亘るシリーズとして初めて「日本の教育再生をねがって」の拙文を本誌に掲載していただいたのは今から2年7ヶ月前の平成20年1月で、当時は教育基本法が改正されて1年余が経ち、漸く歪められてきた戦後教育の見直しと脱却へと第一歩を踏み出したばかりであった。
 
 ところが昨年、平成21年9月政権交代となり民主党中心の政権となり、「地球市民」による国家と家族の否定≠ニ市民自治≠ノ名を借りた専制政治がはじまった。
 
 私が滋賀県人会会員の皆様に訴えようとした「教育再生」は後順位とせざるを得ず、最終回を教育再生を含めた「国家の根本を立て直す好機に」と変更せざるを得なくなったことについて、お許しとご理解を賜わりたい。
 
 なんと云っても最早や看過し得ないことは与党の民主党のみでなく、野党の自民党も有権者の多数までがめざすべき国家像≠フない枝葉末節の政策論議ばかり、パンとサーカスに流され、ちまちました制度や仕組みの話に明け暮れる今日のわが国の姿である。
 
 いまこそ国家の根本を立て直す≠アとに国民が挙って衆知を結集し、よりよい方向を見つけ出すことが出来なければ、この国の将来は恐らく悲惨な終局を迎えることになると思う。

今日の危機を国家の根本を立て直す好機に
 終戦以来、満65年が経ち、あの敗戦の廃墟から見事に再起し、世界有数の経済大国、近代国家、和国家として世界に誇れる発展を遂げ、21世紀を迎えているわが日本である。
 
 しかし、前述のとおり、この数十年、特に90年代に入って以降、わが国は国際競争社会の激流の中で、国家の根本≠竍あるべき国家像∞国家の未来像≠見失ったかのように亡国的な激しいダッチロール∞漂流≠続けて久しい。
 
 かかる状況の中で、私は「独立国日本」の未来は大丈夫などと云う人を信じるわけにはいかない。
 国家の将来は極めて危険であると思っている。
 
 戦後、65年と云う長きに亘って敗戦国日本が独立国とは云いながら実は米国の支配と傘の下に安住し、平和を貪ってきたことは否定できない。
 
 私はこの「危機」を「国家再生」への絶好の「好機」と捉えたい。
 しかし、その実現には必須の「絶対条件」と云う難題を超えなければならない。
 
 それは国民(有権者)の再生への決意(重大危機の認識)と回天的な国民運動(国家再建を託し得る指導者を選び出す)しかないと信じる。
 
 れわれに残された国家再建の道は残された僅かの時間に、このことを達成し得るか、否かであろう。 

「全滋連」寄稿文一覧
平成20年(2008)年1月 
  「全滋連」32号 52ページ  シリーズ 1
  
日本の教育再生をねがって
  
  特攻出撃直前の終戦
   −天から与えられた二度目の人生― 
 平成21年(2009年)2月 
 「全滋連」34号 31〜34ページ シリーズ 3
  日本の教育再生をねがって
  
 東京裁判史観とわが国の将来
    −日本は侵略国家ではない−   
平成20年(2008年)7月        
 「全滋連」33号 28〜29ページ  シリーズ 2
 日本の教育再生をねがって
  
戦後教育≠ゥらの大転換には市民力が不可欠 
平成22年(2010年)2月  
 「全滋連」36号 28〜29ページ シリーズ 4
  日本の教育再生をねがって    
    
     世界に誇る日本人の心
     −武士道精神を後世に−  
 
 

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